こんにちは、たつです!
今回は、東京ディズニーシーで唯一の和食レストラン「レストラン櫻」の話をお届けします。
このレストランは、ただ食事をする場所ではなく、昔アメリカに渡った日本人の物語が隠されているんです。
さあ、そのストーリーを一緒に見てみましょう!
チャーリー・タナカさんの夢
今から約140年前、大阪で漁師をしていた田中さんが、もっと良い生活を求めてアメリカに移住しました。
当時のアメリカは、「自由の国」として多くの人が夢を抱いていた場所。
でも、新しい国に行くのは簡単じゃありません。
田中さんも、言葉や文化が違うアメリカでたくさんの苦労をしました。
そんな中、田中さんはアメリカで少しでも早くなじめるよう、一生懸命に働き続けました。
そして、地元のアメリカ人たちは、彼の名前「タナカ」を発音しやすくするために、「チャーリー」という愛称をつけました。
これは、アメリカではよくあることで、外国から来た人に親しみを込めてアメリカ風の名前を付けることがよくあったのです。
こうしてチャーリーは、地域でますます多くの人々に親しまれるようになり、この名前がニューヨークで広まっていくのです。
魚市場を手に入れる!
チャーリーは漁師としての腕前を活かし、ニューヨークの港で魚を売る仕事を始めます。
毎日、早朝から働いてお金を貯め、ついに「リバティ・フィッシュマーケット」という魚市場を買いました。
この魚市場は、日本から移民してきた人たちが集まり、「故郷」の味を求める場所になりました。
レストラン櫻の誕生!
1905年、チャーリーは夢だったレストランを開くことに決めました。
お店の名前を「櫻」と名付け、日本の文化を感じられるようにしました。
店内には、魚市場だったころの看板や秤(はかり)が今も残っていて、当時の雰囲気を伝えています。
和食とアメリカの融合(ゆうごう)
レストラン櫻は、ニューヨークで暮らす日本人にとって、大切な場所でした。
日本の味を楽しめるだけでなく、アメリカの食文化と日本の料理が組み合わさった新しいメニューも生まれました。
こうして、チャーリーの店は日本人だけでなく、地元の人々にも愛される場所になりました。
戦争の時代と再出発
第二次世界大戦が始まると、日系(にっけい)アメリカ人に対する差別がひどくなり、レストラン櫻も一時閉店せざるを得ませんでした。
しかし、戦後には地域の人々の協力で再び開店し、チャーリーの夢は再び動き出します。
家族でつなぐ伝統
今では、チャーリーの孫がこのレストランを受け継いでいます。
3代目オーナーとして、昔からのレシピと新しいアイデアを組み合わせ、レストラン櫻は今でもたくさんの人に愛されています。
レストランにまつわる面白い噂
ちょっと面白い話をご紹介します。
禁酒法時代、このレストランでは合言葉を知っている常連客にだけ、こっそり日本酒を提供していたという噂があるんです。
もちろん、これが本当かどうかは定かではありませんが、当時のニューヨークでは、こうした秘密の飲み物を提供する場所がいくつもあったと言われています。
店内には、かつての魚市場の雰囲気が残っていて、昔は合言葉を知っている人だけが使えた「秘密の部屋」があったとも言われています。
今ではその部屋の痕跡は見つかりませんが、歴史を感じながら、そんな噂を楽しんでみるのも良いかもしれませんね。
まとめ
東京ディズニーシーのレストラン櫻は、チャーリー・タナカさんという一人の日本人が夢を追い続けて実現した場所です。
この物語を知ると、食事がもっと特別なものに感じられるはず!
次にディズニーシーに行くときは、このストーリーを思い出しながら、美味しい和食と歴史を楽しんでみてくださいね。
それでは、また次回の記事でお会いしましょう!
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