こんにちは、旦那のたつです!
前回に引き続き「ディズニーの裏側」という番組から、学んだことを皆さんに説明する、リマインダー記事です。
前回は、必要な人造動物を海底2万マイルの技術スタッフの力を借り、様々な工夫で用意したというお話でした。
今回は、その続きです。
最初から読みたい方はこちら。
よかったらお付き合いください。それでは行ってみましょう!
ジャングルの準備はばっちり!

オープンまであと数日、最新の情報をお伝えします。時間との闘いの喜びと不安を分かち合いましょう!
ジャングルの木や草は一年で緑豊かに茂っていました。
川には部分的に水が入りボートがレールに乗せられました。
もちろんウォルトは試運転に乗り込みます。
世界一大きな子供の大きなおもちゃ、中で遊べるかっこいいアクションフィギュアのセットみたいでした。出来栄えはばっちり!!
滝も素敵!
でも大切なものがなかったのです…
動物たちが…いない…?

動物の配置はぎりぎり…
試運転をした際には、電動で機械式の動物たちはまだ取り付けている途中でした。
まさにぎりぎりの作業だったのです。やばい!

なぜ遅らせられないのかというと…
ぎりぎりの作業の中、大きな懸念は7月17日にテレビの前の観客にどう見えるかということでした。
そう、ディズニーランドオープンはテレビで中継されることになっていたのです!
この時代のテレビの視聴者は何百万人にもいたので、テレビの前の観客はとても重要だったのです。
パークを成功するためには第1印象をどれだけよくするかにかかっている。
なので、何が何でも間に合わせる必要がありました。

ウォルトのプレッシャー
ウォルトのプレッシャーはとても大きかった。
なぜなら、ウォルトはこんな砂漠地帯にジャングルの川を作っていただけじゃないんです。
ほかにもお城に空飛ぶ像、空飛ぶ海賊船の乗り物、蒸気船、カート、それら全部を1年でつくろうとしていたんですから!
周りからは、応援する声の一方で、いったい何を考えているんだ、無謀だという声もたくさんありました。

ついにグランドオープン!駆けつけたのは…
1955年7月17日お城の跳ね橋がついに下りました。
そうそうたるテレビ界のパイオニアたち(ハリウッドスターや有名人など)と29台のカメラ、多くのスタッフ、そして、のちの大統領・ロナルド・レーガンも開園式典にやってきました!

テレビでは驚きとわくわくする期待感にあふれた放送が行われた。

「新しい冒険の始まりだ。」

「みんな乗り込んだ。ありがとう船長。さぁ出発だ、熱帯の川を下る。」
まさにトゥルー・ライフ・アドベンチャー!それも多分、最高の。

「信じられない水の色だ。川岸には珍しい植物、これらは遠い世界から来た」
高速道路の土手からも来ているけどねw
ジャングルクルーズの紹介は大成功を収めました。

テレビの生中継・アメリカは規模が違う!
ディズニーランドのグランドオープンはABCテレビで生中継され、テレビを見た人は9000万人にも及びました。
その時点で一番の視聴者数を誇るテレビ番組になったのです。当時のアメリカ合衆国の人口は1億7000万人に過ぎなかったことを考えると驚くべき数です!
テレビを見ている人は「自分もそこにいるような感じがした」とパークの人と同じ気持ちになりました。
素晴らしいテレビ放送でした。視聴者を行きたい場所へ連れて行ってくれたんですから。

トラブルもあったけど、大成功!
予想を大きく上回る来場者(20000人予想のところに35000人)が来たり、酷暑だったりで、当日はてんやわんやでトラブルも多かったそうです。
ですが、ディズニーが素晴らしいものを作り上げたってことをみんなにお披露目できました!
一年間、必死に働いたおかげで、アナハイムの乾いた大地にはエキゾチックな熱帯の川が流れ、ウォルトはやっとゆっくり眠ることができました。
明日の準備が残っていますが(;^ω^)

次回に続きます
パークを開園日に間に合わせ、テレビ放送も大成功を収めたウォルト。
しかし、現在のジャングルクルーズになるまでに、まだまだ課題がありました。大評判でも、満足しない、ウォルトの探求心がジャングルクルーズを進化させる!
次回をお楽しみに!
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それでは皆さん、また次回の更新で楽しんでくださいね!
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